SUGOリポート

<槍隊>が見事3位入賞を果たし、感動のうちに幕を閉じた「第5回SUGOファンキーエンデューロ」。
その裏側にあった極私的ドラマです。暫しお付き合い下さい。

 * 序章「運命」
2009年10月18日。針道駆楽部にとって2回目のSUGOファンキーエンデューロ参戦の日。私には、この日のために用意した秘密兵器があった。
その名は「MAVIC コスミック・カーボン SLR」。マビック社が発売したばかりの、カーボン・ディープリム・ホイールだ。
このホイールの存在を知ったのは春。そのとき以来、ずっと私の心の中で気になり続けていた。
ディープ・リムホイールのメリットは、なんといっても空気抵抗の少なさ。私の苦手な平地?ゆるい下りでのスピードアップが狙え、いつかは手に入れたいバイクパーツだった。
しかし一方でデメリットもある。
ひとつは高価な値段。ブレーキの当たるリムの部分までカーボンでできたものは、私の今の自転車が買えるほどの値段になる。
アルミリムのものは価格が下がるが、その分重量が増し、とてもレースで使える代物ではない。
もうひとつは扱いにくさ。フルカーボンのものには専用のブレーキシューが必要で、その都度交換しなくてはならない。常に時間のない状態でレース準備している私に、そんな暇がないことは明確だ。
以上の理由から、「欲しいなぁ」と思いながらも手が出せなかったディープリム。しかし、コスミック・カーボンSLRの登場で、それが
ガラッと変わる。
アルミリムでありながら、重量は前後で1,500g代。フルカーボンのものに比べれば確かに重いが、現在使っている決戦用軽量ホイールと100gちょっとしか変わらない。
価格も最上級フルカーボンに比べれば、半分以下だ。(それでももちろん高価なことに変わりはないが。)
そして運命の導き。
会議の途中に立ち寄ったおなじみ「ベルエキップ」。店内に入り、“SLR”の購入を検討していると打ち明けると、「昨日入荷しましたよ!」というオーナー氏の言葉が。
実はこのホイール、ヨーロッパでは引っ張りだこで、日本で注文してもなかなか入荷しないらしい。ベルエキップでも6月に1組だけ入荷したあと、ずっと入荷待ちだった。
それが、そのとき私の目の前にあったのだ。
1日だけ猶予をもらい、帰途に着いた。しかしそのとき、私の心はすでに決まっていた。
こうしてやっと手に入れた、憧れの「ディープリム」。しかしせっかく手元に置いたものの、その後なかなか実走する機会に恵まれなかった。
やっと走ることができたのは本番の2日前。16日の金曜日のことだった。
まず走り慣れた決戦用軽量ホイール“ES”で走り、その後同じコースをディープリムで走る。いわば胸をときめかせながらの「初体験」だ。
しかし、その印象は拍子抜けするほど「普通」だった。
“ES”も“SLR”も同じメーカー。履かせたタイヤも同じ物。さらにはカセットスプロケットの歯数まで全く同じ。だから純然とホイールの性能を比べることができる。
なのに、感激するほどの違いを味わうことはできなかった。
正直、少し落胆を覚えた。
しかし落ち込んでいる暇はない。悩みはしたものの、大会当日はディープリムで挑むことにした。短い距離の登りならば、“SLR”でも十分に対応できると考えたからだ。

 * 第1章「スタートラインへ」
SUGOまでの10日間、自転車には全く乗れていなかった。11日(日)には地元のビッグイベント「針道のあばれ山車」が開催され、その数日前からは仕事が多忙を極める。
ただ、翌12日(月)には「東和一周駅伝大会」への参加があり、その練習会と本番当日には(心肺的に)かなりの強度の運動をしていたことが、唯一の救いだった。
走る時間はとれないにしても、出来る限りのことはしておきたい。そんな思いで一杯だった。
疲労がピークに達するお祭り前から、(お神酒[みき]と駅伝の反省会を除いて)酒は一切飲まなかった。おかげで疲労の回復も案外早く、大会前には逆に体調が良かった。
前日には、真新しいホイールを装着することもあって、バイクのチェーンと変速機周辺の汚れを落として注油した。これだけでギア1枚分は違う。
また前夜の仕事は深追いせず、割り切って早く終えた。(その分大会当日と、その翌日にする仕事の増加というリスクを背負って…。)
正直、ここまで万全を期してレースに臨んだのは久しぶりだ。それにはやはりチーム戦であることが大きく作用している。自分一人の大会であったら、果たしてこれだけの準備をしたかどうか分からない。
もう一つ、前週に行われた駅伝大会の影響もある。自分らはもとより、必死で走って偉大な記録を打ち立てた子供達の姿に、深い感銘を覚えた。
自分もあの子供達に恥じない走りをしたい、一緒に観戦に行く予定だった自分の子供達にも、父として不甲斐ない姿を見せたくない、と強く思ったからだ。
結局前夜になって息子が急な発熱を起こし(インフルエンザではなかったので一安心)、子供らの観戦はかなわぬものとなってしまったのだが。
役員の皆さんの協力のおかげで、前夜の準備もスムーズに進み、当日朝のチームバス運行も予定通り。今回はピットも1チームで独占できたので、準備も極めてスムーズ。
あとは走るのみ、という状態になった。
いつになく万全の準備で臨んだエンデューロ
やれるだけのことをやり、それに結果が伴うのか、それとも、いつもと違うことをしたために逆に裏目に出てしまうのか。その結末は神のみぞ知る。
まあ、どちらにせよ、肝心の走りが不十分だったわけだから、何をやっても「焼け石に水」であることに、変わりはないのだけれど…。

 * 第2章「勝負」
チームのキャプテンは本部に向かい、受付を済ませる。計測センサーの取り付けなどについて、簡単なレクチャーを受けていると、ベルエキップのオーナー氏も現れた。
「お世話になります!」と挨拶すると、「チーム名、見事に下ネタ系ですね…。」と冷やかしを受ける。
ピットに戻って全員ミーティング。センサーはボトルに取り付け、それをバトンのように受け渡しすることなど、簡単な説明を全員に伝えた。
先日のサイクリングのときもそうだったが、こういう場面では誰も冷やかしを入れないし、全員が黙って真剣に話を聞いてくれる。大人の団体の中では極めて珍しい光景だ。
なんてイカした奴らだろう…。
その後はチームごとに作戦会議。順番、周回数などをそれぞれに決めていく。
我が<槍隊>はビアンキ選手がスタートライダーに決まる。前回は初の混合チーム結成だったため、スタートは各チームのオリジナルメンバーで走らせていただいた。
しかし今の針道駆楽部には、オリジナルも地元も大関係ない。この2年間の我々の輪の広がり、そして深まりを、そんな光景の中に感じ取ることができた。
そうこうしているうちにスタート時間が迫る。
十分にアップを終えた第一走者たちが、チームメイトの激励を受けながら、スターティンググリッドに向かっていった。
スタート1分前。高まるアナウンスの声。それを煽るBGM。裏腹に沈黙を深めるライダー達。そしてかたずを呑んで見守る観衆。
緊張がピークに達したそのとき、スタートの号令がかかる。いよいよ勝負が始まった。
第2走者であった私は、急いでカメラを置き、スタンバイを始めた。
我々のチームはまず2周ずつ。状況を見ながら1周に切り替える作戦を取った。
単純にスピードだけを考えれば、1周ずつのほうがもちろん速い。しかしそれだと、どのライダーもホームストレートを駆け抜けることなくレースを終えてしまう。
いかに勝負とは言え、そういう無粋なことはしたくない。そんな偏屈なこだわりでもあった。
続々と第1ライダーがピットインしてくる。ビアンキ選手の脚からすれば、間もなく2周を走り終えてくるはずだ。緊張が身体全体に走る。
来たっ! クリートをはめ、全神経を右足に集中させる。ジーコ君がボトルを受け取り、こちらのボトルケージに突っ込む。「Go!!」背中を押し出され、ファーストランが始まった。
第1コーナーに向け、ピットロードをひたすら加速する。伸びる、伸びる。ディープリムの好感触を早速感じとるも、すぐにコーナーへ突入。そこでも脚は決して止めない。とにかく加速を続ける。
左カーブから「馬の背」の登りへ。登りであるのに、カーブ途中まで加速が続く。これもホイールの効果。いい感じだ。
徐々に坂がきつくなるが、ここはアウターで踏み倒す。レース前からそう決めていた。下ハンを持ったまま、ダンシングで登り続ける。
呼吸は早くも乱れまくっている。でもそんなことは構っていられない。心拍計に目をやる暇もないまま、下りに突入する。
超軽量の私にとって、この長いストレートは何をやっても無駄。ただひたすらに身体を屈め、空気抵抗を減らして落下する。
すると猛スピードで右コーナーが迫る。しかしここでも決してブレーキングはしない。前回の走行で実証済みだ。ピナレロ自慢のONDAフォークが、路面に爪を立てるようにしがみつく。ゆるゆると減速するチキンライダー達を、インから抜き千切ってやった。
その後のS字は別世界。今まではスピードを維持するだけで精一杯だったのに、グングンとバイクが加速していく。
興奮状態だ。身体中にアドレナリンが溢れ出てきた。
しかしすぐそこには最後の難関、10%の壁が迫っている。
ここはインナーに落とし、ジワジワと登り始めてはみたものの、なんともまどろっこしい。足が攣るのが先か、息が上がるのが先か、このバイクを地獄への道連れと決め、ダンシングをかける。
苦しい、呼吸ができない。それでもダンシングを続け、とにかくモガキ続けた。
やっと見えたホームストレート。しかしあと1周。ギアをアウターに掛け、下ハンに握り替えて加速を続ける。
そこから先、2周目はほとんど記憶にない…。
このペースであと3時間半。身体は、そして気持ちは持つのだろうか…。

 * 最終章「チェッカーフラッグ」
ファーストランから息も絶え絶え戻ってくると、ピット内では早くも順位のチェックが始まっていた。
「おいおい、まだチームが一巡してもいないんだから、ちょっと早いんじゃない?」と思いながら、呼吸を整え、次の順番を待つ。
我がチームは2巡目までは2周回ずつ、3順目からは1周に切り替えることにした。
前回より1人多いチーム編成なのだが、皆それ以上に全力疾走しているため、早々と身体がキツくなっていたからだ。
同時に序盤7~8番手につけていた順位を、徐々に上げたいという狙いもあった。
2回目の順番が回ってくる。今度は少し冷静だ。1回走っているので、踏むところと抜くところのメリハリも少し付けられるようになった。
それでも相変わらずキツかったが、とにかく踏んだ。ペースなど考えず、登りがくればダンシングをし続けた。
あくまでも感覚でしかないが、かなり良いペースで走れていたと思う。他のチームに抜かれた場面はほとんど記憶にないし、ピットに戻ったら順位が上がっていたこともあった。
こうしてなんとか1周1周をこなしながら、勝負は後半戦へと進んでいった。
気になる順位は、やはり7?8位。ただしこれは総合であって、4時間の部では3位につけているとの情報が。しかし一方では「4位じゃない?」という意見もあって、なんとも微妙なところ。
さらには1つ下の順位にいるのが隣のピットのチームだと分かり、嫌が応にもボルテージはアップする。
もうこうなったら、四の五の言わずに走るしかない。メンバー全員が腹を決め、最後の死力を振り絞ってピットロードから駆け出していった。
レースも残り1時間を切ると、気力も体力も限界に近づく。
誰の順番まで回ってくるか?そんな計算が始まる。残り時間からして、どうも自分が最終ライダーのようだ。ここで二つの心が葛藤した。
もちろん最終ライダーとしてチェッカーフラッグを受けたい。だがもし2周するタイミングで戻ってきてしまったら、そこからのスピードダウンは火を見るよりも明らかだ。
隣のチームと数秒を争う状態になっていたりしたら、チームの足を引っ張ることになってしまう。それはできない。
チェッカーフラッグを潔くあきらめ、ジーコ君に最終ライダーを頼んだ。彼をピットから最後に送り出したとき、本当に祈るような気持ちだった。
数分後、ピットが、そしてコースが閉ざされ、4時間が終わった。
我が駆楽部のメンバーも、皆晴れやかな顔でホームストレートに戻ってきた。完全燃焼。まさにそんな言葉がぴったりの瞬間だ。
チェッカーフラッグが、遠くで翻り続けていた。
皆で恒例の記念撮影をし、帰り支度に入る。
荷物をまとめ、バイクを積み込みながらも、心はソワソワと落ち着かない。果たして順位は?念願の3位入賞は現実になるのか?隣で賑やかに開催されるジャンケン大会の歓声を聞きながら、気が気でない時間帯が続く。
辺りが真っ暗になった頃、本部のほうから2?3人のメンバーが、紙を持って走ってきた。
3位だ!入賞だ!!吉報に全員の表情が一気に緩んだ。
心の底から嬉しかった。力のあるメンバーの中に入り、自分がブレーキになってしまうのでは?というプレッシャーから、解き放たれた瞬間でもあった。
<槍隊>のメンバーには、感謝の気持ちで一杯だ。だが今日は、自分も決して恥ずかしくない走りをしたと、胸を張って言える。自分なりにベストを尽くし、力を出し切っての入賞だったと思う。
今日一緒に来られなかった子供達にも、堂々と報告したいと思った。
ついでに言えば、高価なホイールを購入した面目も立ったということか…。
最高のメンバー、最高のコンディションによってもたらされた入賞。それは同時に、駆楽部全員でつかんだ勝利でもある。
愛する仲間たちに見守られながら、歓喜の中で経験したシャンパンファイトは、恐らく私の人生の中で、決して忘れられない瞬間として、永遠に記憶に残り続ける。

(BIRD記者)